広める・伝える活動:有機農業の技術

2020/07/13

「ここくの味噌づくり」


協会の広報誌オーガニックの取材で宮崎県清武町で無添加の味噌を製造する「ここく」の加藤さんを訪ねた。

加藤さんは元々農家でも味噌作りの家に生まれたわけではない。純粋なIターン者だ。

 

 

 

昭和51年に浜松で生まれ、富山大で法学を学ぶも、空前の就職氷河期の渦中に巻き込まれ、大阪で改めてアルバイトをしながらデザインの専門学校へ。そこから大阪や東京のデザイン関連の事務所を渡り歩きスキルと人脈をあげて行き、ついには大手化粧品会社から直接注文がくるような一流のクリエイターに。

 

 

 

目が回るような忙しい日々に充実感があったが、いつの間にか自分が作ったデザインの空虚さに気づき、虚無感に襲われるようになった。例を挙げるとすればウェブサイトや映像って、手に持つことができない。重さがないという事実。その感覚が虚しかったのだ。

 

 

 

そんな時に奥さんの実家である宮崎の空港でふと手にした「スローフード」に関する本に出会い、食生活や健康などといったこれまで興味すらなかった分野の情報に新鮮さを覚えた。そして食や健康、環境などの状況に問題が山積していることに気づく。問題解決が職責であるデザイナーの本能から、食や農業のことを調べ、思索する日々が続き、ついには「自分で行動するしかない。」という結論に至った。

 

 

そして宮崎に移住して農業を始めることを決めた。

 

綾町の有機農家で研修を受けた後、就農。そこから加藤さんの戦略的実践が始まる。

 

 

 

どうやったら一人で管理し(奥さんは別の仕事がある)、農産物に付加価値をつけて経営が維持できるか、、。

 

 

考えに考えた末に、品目を麦と大豆に絞り、さらに味噌として加工すれば、商品として形にできてパッケージデザインなどの自分のスキルを活かすことができると考えた。

 

 

加藤さんはさらに高みを目指す。まずはタネ探しから始めた。

 

 

麦も大豆も宮崎の在来種にこだわり、椎葉村に伝わる「はだか麦」、高千穂に伝わる「麻尻大豆」を自分の足で探し当てた。

秋に麦を蒔き、春に麦を穫った後に、大豆を蒔くという輪作栽培。

 

 

 

しかも無肥料・無農薬により140アールの広大な畑で栽培することに成功。大豆の根に共生する根粒菌による空気中の窒素を固定化する作用のみで麦の成長を求め、麦の藁は全量漉き込んで肥料とする無施肥栽培を確立している。

 

 

さらに驚きは、味噌づくりで欠かせない「塩」さえも、自ら青島沖の海水を汲み上げて薪と平釜で2日間煮詰めて製塩まで自分で行なっていることだ。

麦麹を作る工程以外は、全て自分の手で作り上げるこだわりはもう驚くしかないほどで、しかも全ての工程、管理をたった一人で行っている。さらに注文があればデザインの仕事も行い、2人の子供を含む家族の夕食も加藤さんの担当だ。まさにスーパーマンだ。

 

 

普通、1町歩(1ヘクタール)以上の農作業だけでも一般人は管理するだけでも精一杯のところ、無肥料・無農薬で作物を育て、加工品の製造、塩作り、パッケージやチラシなどの広告のデザイン・ブランディングまでたった一人でこなす。

 

 

「そんなことできるわけがない。」とよく言われるらしい。

 

 

当然のことだと思う。しかし長いデザイナー時代に苦労した経験から、徹底的に調べ、考え、問題を解決するソリューション力によって、生活の流れ全てを「デザイン」することで乗り切っている事実はまさに驚愕に値する。

 

 

加藤さんはこれからさらに自家製醤油の醸造や切り干し大根などにも挑戦していくという。

 

 

今は味噌づくりのワークショップや自家製の野菜と一緒に味噌を都会人に届ける宅配も月一回実践しながら、「ここく」ブランドのファンを獲得することに努めている。

 

 

自分一人の「個」の世界だけでなく、人と人が手を携えていける社会を目指して動いていけたら。加藤さんは未来を見据えている。

 

素材とつくる過程にこだわりぬいてできた味噌は、塩分が控えめで、豆の味が濃い、コクと香りが共存する美味しい仕上がりになっている。添加物も使っていないため、生で食べても舌がピリピリすることなく美味しくいただける。

 

まずはこの味噌を食べて欲しい。きっとそこに全ての答えがある。

 

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(取材:浜地克徳 2020年7月10日)

2020/06/17

「伝えたい有機農業の人と術 vol.1」


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那須公一郎さんの草とりいらずの稲作(ボカシ作り編)
那須公一郎さん(熊本県湯前町) 取材期間:2018年11月〜2019年7月

那須さんは昭和16年生まれ。現時点では79歳。取材時は2年前だったので当時は77歳であり、やや耳が遠いことを除けばまだまだお元気だった。53歳で自衛隊を退職、それ以降ずっと有機での米と野菜づくりを試行錯誤、実験を繰り返してこられたベテランだ。

有機JASの年次調査ではこれまで何回か訪問したことはあったのだが、2年前の調査の際に自家製ボカシの効果などをお聞きした際に「私は水稲栽培では草取りはまったくいたしません。」と言われたのに驚いて、あらためて詳しいお話を伺ったことがきっかけで、その後、那須さんの田んぼに通い始めることとなったのだった。

以前から、ていねいでシステマティックな那須さんのボカシ肥料作りには感心していたが、「草が生えない」という認識はなかったので驚いたということもあったが、「この技術や人を伝えなくてはならない」と実感した一番の理由は、那須さんが小さい声でふと漏らした言葉が強烈に響いたからだ。

「私は時間をかけて最高のボカシを完成させた。雑草の問題を解決し、さらに収量も慣行を凌ぐほど上がり、味も最高だと自負しています。ただ、これが地域の人や社会に評価されることはないし、伝える後継者がいないこともさみしい。」

そんなことをおっしゃった。私は、このような立派で誠実な方が評価されず、さみしいとまで言わしめる現状やこの社会って一体なんなのだろう。という怒りにも似た気持ちが湧き上がり、これまでこういう人を見過ごし、看過してきた自分に腹立たしさを覚えた。そして自分にできることで、このような人の存在や技術を伝えていきたい。と強く感じたことでこの連載を始めることにつながった。

(ドラム缶に密閉して嫌気性発酵させる。)

イラストでは、なぜこのボカシを使用すると除草しなくて済むのか?の説明が不足していると思うので、簡単に補足したい。要するにただ単にこのボカシを散布すれば草が生えないということではなくて、いくつかの複合的要因が合わさって、結果的に雑草が発芽しにくい状況が生まれる。ということだ。その一つが米ヌカ除草法でよく言われるように、米ヌカが土中で分解される際に発するガスが、雑草の発芽を抑制するということ。(化学的な説明は筆者にはできない)
あとはよく発酵させたボカシにより良好な土作りがなされ、その結果として田んぼの上層5センチ〜10センチに発生する柔らかい「トロトロ層」が雑草の種子を埋没させ発芽できない状況を作るということ。その他、有機的で豊穣な土がありとあらゆる生物の循環を作り上げており、微生物からイトミミズ、昆虫、エビ、魚類、カエルまでが共存することで、雑草の種子がエサとして食べられることも考えられる。また深水管理による効果もあるだろうし、ジャンボタニシとの共存による除草効果もみとめられた。このような2重3重の要素が重なることによって、雑草が発芽成長できない環境が形成されると推察される。

(育苗・定植はミノル式のセルトレイ苗で行われる)
出穂前の田んぼも現認したが、上記のように、あらゆる生物と水稲が共存するミクロコスモスが完成しており、ホウネンエビが田んぼで群生していたり、ゲンゴロウ、タガメなどもおり、おそらくドジョウやメダカなども生息しているのでは?と思うくらい、豊かで生物多様性の見本のような田んぼは感動の対象となると思われる。

あと、那須さんの経験的実感として「厩肥の否定」がある。就農直後、言われるがまま牛糞堆肥の大量施肥を行なっていたが、ウンカなどの害虫、いもち病などの病害に悩まされていた。しかしその後、牛糞の施用を減らし、米ヌカぼかしを増やすことに比例して病害虫被害が減少していき、収量も安定していく経験から厩肥の弊害を実感として捉えるようになったという。またアイガモ農法も含め、動物性の糞が土中に入ることで食味も落ちるという意見も持っていることも興味深いものがあるが、そこは食べ比べ、成分実験などを行わない限り、評価は分かれるものだと思う。

「田んぼは神聖な場所です。なので私は田植え以降、稲刈りまで一切田んぼの中には足を踏み入れません。」「私はお米や野菜を作ることはしていません。何をしているかというと、ただ土を良くしているだけです。」などの言葉も、深く印象に残るものだった。

(イラスト・文・撮影・取材 浜地 克徳)